日経ビジネスアソシエに掲載されている、言語学者・外山滋比古の「大人の日本語 人にやさいしことば」という連載コラムがおもしろいです。
今回のコラムは、ちょっとしたひと言がひとの気分を和らげるんだぞ、というような内容でした。
たとえば莫大な数の外来患者が待つ大きな病院で、やっと順番が来て、いざ診察を受ける時の、お医者さんの「たいへんお待たせしました」という労りのことば。
確かにこれを言われるのと言われないのでは、そのお医者さんに持つ印象はかなり違ってくると思います。
おもしろかったのは、逆に無意識に人を不快にする言葉を平気で使っている人も多い、という具体例です。
その中のひとつが、今日のタイトルの「疲れているね」。
それにも書かれてありましたが、疲れているねと言われても本人は別に疲れていないことも多く、本当に疲れていたとしたら、その言葉によって余計に疲れるのです。
かく言う私も事実の有無に関わらず、「疲れているね」をやたら連発されるひとりです。
顔のつくりも色も薄いので、なんとなく精気が感じられないせいもあるのでしょうが、
「こういう顔なんだよ!」と言いたくなるのは抑えて、「そぉお?」とかわしつつも、
ニコニコと無意識に人の気分を落とす人たちの神経には、かなり疑いを持っていました。
よく考えてみると、このことばは、表層的な付き合いの人が、大して乗り気ではないコミュニケーションをとろうとして、第一声の挨拶代わりに用いることが多く、自分のことをよく知ってくれている親しい人たちは、初っ端から何なと話すことがあるためか、あまり言わないような気がします。
言うとすれば、本当に窶れきっていて心配しているときでしょうね。
こんな屁理屈だからこそ、そういう見えにくいけれど確実な負の力を振るわない、隠れた気遣いができる人間でありたい。
そんな風に思う、疲れた朝です。
今回のコラムは、ちょっとしたひと言がひとの気分を和らげるんだぞ、というような内容でした。
たとえば莫大な数の外来患者が待つ大きな病院で、やっと順番が来て、いざ診察を受ける時の、お医者さんの「たいへんお待たせしました」という労りのことば。
確かにこれを言われるのと言われないのでは、そのお医者さんに持つ印象はかなり違ってくると思います。
おもしろかったのは、逆に無意識に人を不快にする言葉を平気で使っている人も多い、という具体例です。
その中のひとつが、今日のタイトルの「疲れているね」。
それにも書かれてありましたが、疲れているねと言われても本人は別に疲れていないことも多く、本当に疲れていたとしたら、その言葉によって余計に疲れるのです。
かく言う私も事実の有無に関わらず、「疲れているね」をやたら連発されるひとりです。
顔のつくりも色も薄いので、なんとなく精気が感じられないせいもあるのでしょうが、
「こういう顔なんだよ!」と言いたくなるのは抑えて、「そぉお?」とかわしつつも、
ニコニコと無意識に人の気分を落とす人たちの神経には、かなり疑いを持っていました。
よく考えてみると、このことばは、表層的な付き合いの人が、大して乗り気ではないコミュニケーションをとろうとして、第一声の挨拶代わりに用いることが多く、自分のことをよく知ってくれている親しい人たちは、初っ端から何なと話すことがあるためか、あまり言わないような気がします。
言うとすれば、本当に窶れきっていて心配しているときでしょうね。
こんな屁理屈だからこそ、そういう見えにくいけれど確実な負の力を振るわない、隠れた気遣いができる人間でありたい。
そんな風に思う、疲れた朝です。